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「隣りの男」 01〜別れさせ屋〜後編B-01
「別れさせ屋を試しに一回だけやってみたりり子」

 部屋の明かりを間接照明だけにして、膝を抱え、私はフローリングの床に座り込んでいた。もう1時間はこうしているだろうか。
 今日、健太からのメールに添付されていた、資料を見て、私はちょっとひるんだ。それは、初めて請け負う別れさせ屋の仕事の、ターゲットとなる人物のデータである。

「冗談でしょ?」

 これじゃあ、正直手も足も出ないと思った。ターゲットとなる人物は有名な画家だった。それもイケメンの。いきなり、こんな大物を口説けだなんて、私にはとてもじゃないけど荷が重過ぎる。イケメンはともかく、芸術家とじゃ、話すら合わないだろう。 軽い気持ちで試しに一度・・・と健太に拝み倒されて、ついついその気にさせられたものの初めての仕事からこれじゃ、先が思いやられる。

「はぁ〜」と何度目かの溜息を漏らしたとき、パソコンメール受信の合図音が鳴った。
 画面を見ると、また、健太からである。


―俺の調べた所じゃ、りり子は、もろマルタ(ターゲットの意味)のタイプ。心配ない。向こうから勝手に食いついてくると思うよ♪マルタのよく行くバーの住所です・・・
 そしてそのメールは、“とにかく行くだけ行ってみなって”と無責任に終わっていた。  実際健太の言う通りだった。特に何を仕掛けたわけでもない。一人カウンターに腰掛けている彼の二つ隣の空席に座ったら、すぐに声をかけてきた。
「待ち合わせ?」と。その言い方はいかにも遊びなれた風だったけど、健太のデータによると、ここ半年は、浮気の兆候はみられないという。
 ともかく、私の嫌いなタイプではない。それどころか、話すにつれ、急速に二人の距離は縮まって行った。
 ジントニックの酔いが、回り始めた頃には、すでに私たちは相手を名前で呼び合っていた。彼は私を“りり子ちゃん”と。私は彼を“一樹さん”と。私たちがそれぞれの仕事の話を事細かに話したのは、今後、どのくらい二人の時間を持つことができるかという具体的なスケジュール確認でもあった。
「まだ、手も握ってないのに、なんだかすごく昔から付き合ってきたみたいに自然体でいられるのが、すごく不思議」というのが、私と一樹さんとの間で交わされた、共通認識だ。  
『別れさせ屋』の仕事では、ターゲットにこう言わせられたら、もうこっちのものだ。とそう健太に聞かされていたのだが、でももう私はその時点でこの仕事を辞めようと思っていた。
 たった数時間前まで迷っていた、別れさせ屋という仕事への少なからぬ興味は見事に恋に塗り変わっていた。
 この仕事のタブーはターゲットに本気になること。自分はふりだけで、相手をその気にさせてこそプロ。それにすべてがかかっているのだと、健太には何度も言われた。
(俺を裏切るのか?)健太はそういうかもしれない。それとも、辞めないでとすがって、拝みたおすのだろうか?私の事、見損なったとでも、蔑むだろうか?

明日につづく
※この物語はフィクションです。
| 01「別れさせ屋」 後編B | 00:23 | comments(0) | - |
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